
柚月裕子さんの「教誨」について詳しくまとめます!
Kindle kindle unlimitedはこちら!
Audible 聴く読書もおすすめ!
この本を読んだきっかけ
柚月裕子さんの作品は今までにいくつか読んだことがあり、好きな作品が多いので、新刊が出たら絶対に読もうと決めていました。
こんな人にオススメ
・社会派ミステリーが好きな人
・重めのミステリーが好きな人
・「教誨」や「教誨師」について知りたい人
・柚月裕子さんのファンの人
「教誨」あらすじ
女性死刑囚の心に迫る本格的長編犯罪小説!
幼女二人を殺害した女性死刑囚が最期に遺した言葉――
「約束は守ったよ、褒めて」吉沢香純と母の静江は、遠縁の死刑囚三原響子から身柄引受人に指名され、刑の執行後に東京拘置所で遺骨と遺品を受け取った。響子は十年前、我が子も含む女児二人を殺めたとされた。香純は、響子の遺骨を三原家の墓におさめてもらうため、菩提寺がある青森県相野町を単身訪れる。香純は、響子が最期に遺した言葉の真意を探るため、事件を知る関係者と面会を重ねてゆく。
出版社より引用

著書の柚月裕子さんは、この作品について、こう語っています。
「自分の作品のなかで、犯罪というものを一番掘り下げた作品です。執筆中、辛くてなんども書けなくなりました。こんなに苦しかった作品ははじめてです。響子が交わした約束とはなんだったのか、香純と一緒に追いかけてください」
出版社より引用
「教誨」とは
「教誨」や「教誨師」という言葉を、この作品を読んで初めて聞いた方もいるかもしれません。
「教誨」とは 、受刑者等が改善更生し、社会に復帰することを支援する仕事です。
「教誨師」とは教誨を行う者のことで、 無報酬で、多くの場合、僧侶や牧師など宗教家が、その役割を担います。
受刑者が死刑囚の場合、教誨師は、拘置所で死刑囚と面談できる唯一の民間人となります。
私が教誨師のことを知るきっかけになったのが、数年前に読んだ下記の本なのですが、実際の教誨師の方への取材をもとにしたノンフィクション作品です。
柚月裕子さんのこの作品の中でも、参考文献として記載されています。
半世紀にわたり、教誨師として生きた一人の僧侶の人生を通して、教誨師という仕事について書かれた作品です。
もし、柚月裕子さんのこの作品を読んで、教誨師についてもっと詳しく知りたいと思った方がいれば、ぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
この本のテーマ
女性死刑囚の人生と遺した言葉の意味
遠縁の女性死刑囚である三原響子の身柄引受人に指名された吉沢香純は、響子が最期に遺した言葉―「約束は守ったよ、褒めて」という言葉の意味を探して、響子の人生を追うことになります。
香純は子供の頃に一度響子に会っただけなので、響子について、ほぼ何も知らないのです。
響子はなぜ我が子を含む女児二人を殺害したのか、また最期に遺した言葉の真意は何なのか、事件を知る関係者と面会を重ねていきます。
関係者と話していくうちに、響子の人生が見えてきて、最期の言葉の意味もわかってきます。
一体真実は何なのか、きっと気になって一気読みしてしまうことでしょう。
地方や田舎の閉塞感
地方や田舎の閉鎖的な環境について書かれた作品は、今までにもけっこう読んできましたが、この作品でも田舎特有の雰囲気がリアルに書かれています。
町の人みんなが同じ情報を共有していて連体感があると言えば聞こえはいいですが、一歩間違えるとみんなから弾き出されてしまうような環境は恐ろしいですよね。
田舎って今でもそういう閉鎖的な所が多いのでしょうか…。
印象に残ったフレーズ

印象に残ったフレーズを2つ紹介します!
「ケンカってのは味方がいないとできないんだ。独りで挑んでいっても、返り討ちにあっちまう」
p198 釜淵の言葉
味方がいないケンカは、もはやケンカじゃないですよね。
それはいじめというのではないでしょうか。
「誰もが目に見えるものだけで決めつけて、その裏にある事情なんて考えもしない。目に見えないものにこそ、大事なことが詰まっているのにさ」
p238 スナックコスモスのママの言葉
こういう事件のことに限らず、何事も表面だけ見て決めつけてしまいがちですが、いろんなことを想像しないといけないな、とはいつも思っています。
著者紹介
1968年岩手県生まれ。
2008年、『臨床真理』が第7回『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞し デビュー。
2013年、『検事の本懐』が第15回大藪春彦賞を受賞。
2016年『孤狼の血』が第69回日本推理作家協会賞を受賞(長編及び連作短編集部門 )。第154回直木賞候補。
2018年、『盤上の向日葵』が本屋大賞第2位。
2022年、『ミカエルの鼓動』が第166回直木賞候補。
紀伊國屋書店サイトより引用
感想(ネタバレあり)
響子が交わした約束が何か、誰と交わした約束だったのか、それが気になって一気読みでした。
柚月さんの作品は読みやすいので、スラスラ読めてしまいます。
この作品は「秋田児童連続殺害事件」をモチーフにしていると思われ、事件の内容も受刑者の境遇や生い立ちなどもよく似ているので、どうしてもその事件と重ねて読んでしまいました…。
でも、この作品はフィクションなので、その事件の真相とは別なのだとは思います…。
最後に明らかになった響子が遺した言葉の意味ですが、ちょっとこれは肩透かし的な感じがしましたが…何にしてもとてもやるせない物語ですね。
どうにかならなかったのかな…って読んでる方は簡単に言えますけど、当事者はどうにもできないから、こんな哀しい事件が起こってしまったんですよね。
全てが悪い方向に向かってしまったような話で、本当にやるせない話でした。
この作品も言ってしまえば「毒親」ものに分類されるのでしょうか。
最近そんなテーマの作品を読みすぎているせいか、めちゃくちゃ心が動かされることはなかったのですが、これもやっぱり少し響子に同情してしまいそうになりますね。
決して殺人を犯した人の味方をするわけではないですが、やっぱり親の呪縛とか環境の影響っていうのは大きいですよね。
この物語も響子の母親の千枝子がもう少し響子のことを考えてあげてたら違ってたかな、とは思うんですが、千枝子も嫁として夫の健一に逆らえず、響子の味方についてあげられないような状況だったわけで、簡単な話ではないですね。
そこに、田舎特有の地主と小作人の結婚という事情も加わって、いろんな面でがんじがらめな状態です。
ただ、響子も千枝子も健一のことを怖がっていたにしても、千枝子が響子のことをもっと肯定して育ててあげてほしかったです。
響子が自分のことを否定してばかりになってしまい、愛理のことを育てる上でも、健一に叱られないように育てなきゃと考え、愛理がちゃんと躾ができてないのも全部自分のせいにしてしまうところが、気の毒でした。
それでも、響子は千枝子のことを全く責めない、というのも、毒親育ちあるあるだな、と思いました。
育児ノイローゼか鬱病か、精神的に普通の状態でなかった響子は、「あの子がいなかったら、あんたもこんなに苦しまなかったのかね。可哀そうだね」という千枝子の言葉を聞いて、どこか張り詰めていた糸がプツンと切れてしまったような感じだったのかもしれないですね…。
こんなこと親が子供に言ってしまったら絶対ダメでしょう。
「可哀そう」なんて親が子供に言っていい言葉じゃないですよ。
それから、厳しく育てるということと、否定して育てるということは全く別物だし、とにかく、子供のことは否定しないように肯定して育てたい、という気持ちがまた大きくなりました。
私も親に褒められた記憶がないんですよね。否定された記憶はけっこうあるんですけど…。
親以外に褒めてくれる存在が外の世界にあったからなんとかやってこれたかな、という想いはずっと私の中にもあります。
スナックのママさんがかなりまともな考えの持ち主だったので、響子がこのママのもとでもっと働けていたら、支えてくれるような存在だったのかもしれないな…と思いました。
このママさんの言葉、ずっしりとくる言葉が多かったです。
故郷に帰りたい、という想いは、こんなに嫌な思い出がある場合でも、そんなに強いものなんでしょうか?
そんな閉塞感のある場所で育って、いい思い出なんて全然ないのに、それでも故郷に帰りたいと願うものなんでしょうか…。
母と同じお墓に入りたいと思う気持ちは分からなくもないですが…。
また、「教誨」というタイトルから、もう少し教誨師とのやり取りなどが記述されているのかな?と想像していましたが、そんなになかったですね…。
もう少し響子と教誨師のやり取りの部分があってもよかったかな、とは思いました。
響子が教誨師とどのような会話を交わしたのか、もう少し知りたかったですね。
それにしても、昨年から毒親がテーマの作品を読みすぎているので、もうそろそろ卒業しようかな、と思うようになってきました(笑)
ただ、毒親とか親ガチャとかが社会問題になっているので、そういったテーマの作品が増えてるんでしょうね。
まだまだ出会ってしまいそうな気もしますが…。
毒親や親ガチャがテーマのものをもっと読みたい!という方は、これまでの記事をぜひ参考にして下さい。
「八月の母」「レッドクローバー」「イオカステの揺籃」「母性」「光のとこにいてね」など、たくさん書いていますので…。
まとめ
柚月裕子さんの「教誨」についてまとめました。
柚月裕子さんの文章は読みやすく、自然と引き込まれてしまいます。
今後出る作品も過去の作品も、たくさん読んでいきたいと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!
コメント